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東京地方裁判所 平成8年(ワ)12379号 判決

甲・乙・丙事件原告(以下「原告」という。)

佐川急便株式会社

右代表者代表取締役

栗和田榮一

右訴訟代理人(甲・乙・丙事件)弁護士

清水直

清水建夫

右訴訟代理人(乙・丙事件)・右清水建夫訴訟復代理人(甲事件)弁護士

菊地宏

右訴訟代理人(甲・乙事件)弁護士

得居仁

右訴訟代理人(乙・丙事件)弁護士

安部公己

小竹治

田中寿一郎

武内秀明

右訴訟代理人(甲事件)弁護士

戸舘正憲

右訴訟代理人(丙事件)弁護士

平出晋一

右得居仁訴訟復代理人(甲事件)弁護士

品川政幸

甲・乙・丙事件被告(以下「被告」という。)

乙野一郎

右訴訟代理人(甲・乙・丙事件)弁護士

田中俊夫

五木田彬

赤松幸夫

右訴訟代理人(乙・丙事件)・右田中俊夫訴訟復代理人(甲事件)弁護士

霜鳥敦

右訴訟代理人(甲事件)弁護士

梶原洋雄

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇億円及び内金一〇億円に対する平成五年六月二四日から、内金二〇億円に対する平成六年八月七日から、内金二〇億円に対する平成八年七月二八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  甲事件

被告は、原告に対し、一八億九五八〇万五一六八円及び内金八億九五八〇万五一六八円に対する平成三年六月一日から支払済みまで年八分の、内金一〇億円に対する平成四年三月一九日から支払済みまで年五分の各割合による金員を支払え。

二  乙事件

被告は、原告に対し、二〇億円及びこれに対する平成四年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  丙事件

被告は、原告に対し、二〇億円及びこれに対する平成四年四月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、東京佐川急便株式会社(以下「東京佐川」という。)を合併した原告が、被告に対し、消費貸借契約に基づく貸金の返還として八億九五八〇万五一六八円を請求し(甲事件)、また、被告が東京佐川の代表取締役として、返済能力のない会社に対し、無担保で、かつ、取締役会の決議がなされていないにもかかわらず、多額の金員の貸付をし、あるいは、右会社の負担する多額の債務について連帯保証契約の締結をした行為は、取締役の善管注意義務及び忠実義務に違反するとともに、右貸付については商法二六〇条二項一号に、右連帯保証契約の締結については同項二号にそれぞれ違反するから、右各行為により東京佐川の被った損害について原告に対して賠償する義務を負うとして、甲事件につき一〇億円、乙事件及び丙事件につき各二〇億円を請求している事案である。なお、付帯請求は、右貸金の返還請求については約定の年八分の割合による利息及び遅延損害金、右各損害賠償請求については民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求めるものであり、その起算日は、甲事件のうち貸金請求については最後の貸付の日の翌日、その余の甲事件に係る請求並びに乙事件及び丙事件の各請求については損害が発生した日の翌日である。

一  争いのない事実等

1  当事者

原告は、一般貨物自動車運送事業を主たる目的とする会社であり、平成四年五月一日を合併期日として東京佐川を吸収合併して存続会社となり、同月一一日、右合併登記を行い、東京佐川の権利義務を包括的に承継した。

東京佐川は、被告により、昭和三八年三月四日、三好運送株式会社として設立され、翌年に渡邉運輸株式会社と商号変更し、昭和四九年九月に佐川急便グループに加入した後、昭和五二年一二月一五日に東京佐川と商号変更した。

被告は、東京佐川の設立時から平成三年七月一一日まで同社の代表取締役であった。

2  連帯保証契約の締結等

(一) 甲事件

(1) 東京佐川は、平成三年一月三一日、平和堂不動産株式会社(以下「平和堂不動産」という。)に対し、五億円を貸し付けた(以下、右貸付を「本件貸付」という。甲一〇四)。

(2) 株式会社平和堂(昭和六二年九月九日に株式会社誠廣として設立され、その後、平成二年七月一一日に株式会社平和堂に、平成四年六月二四日に株式会社ゴールデン・エポックにそれぞれ商号変更した。以下、株式会社平和堂を「平和堂」という。甲一二九の一ないし四)は、平成三年二月二八日、ハザマファイナンス株式会社(以下「ハザマファイナンス」という。)から一〇億円を借り受け(甲七三、同七七)、内金五億円を本件貸付債務の弁済に充てた(甲一〇四)。

(3) 東京佐川は、右同日、ハザマファイナンスに対し、平和堂の右債務について連帯保証する旨約した(以下、右連帯保証契約を「本件連帯保証契約(一)」という。甲七三、同七七)。

(4) 原告は、平成四年三月一八日、ハザマファイナンスに対し、本件連帯保証契約(一)の履行として一〇億円を弁済した(甲七六)。

(5) 前記第二の冒頭部分中の一〇億円及びその遅延損害金の請求を追加する旨記載された請求の趣旨拡張並びに請求の原因追加の申立書は、平成五年六月二三日、被告に送達された。

(二) 乙事件

(1) 平和堂不動産は、平成二年一二月二一日、株式会社いずみコーポレーション(以下「いずみコーポレーション」という。)から二五億円を借り受けた(甲七九、同八〇)。

(2) 東京佐川は、右同日、いずみコーポレーションに対し、平和堂不動産の右債務について連帯保証する旨約した(以下、右連帯保証契約を「本件連帯保証契約(二)」という。甲七九、同八〇)。

(3) 原告は、平成四年三月三一日、いずみコーポレーションに対し、本件連帯保証契約(二)の履行として二四億七六〇〇万円を弁済した(甲八二)。

(4) 乙事件の訴状は、平成六年八月六日、被告に送達された。

(三) 丙事件

(1) 北東開発株式会社(以下「北東開発」という。)は、平成二年八月六日、芙蓉総合リース株式会社(以下「芙蓉総合リース」という。)から二二億円を借り受けた(一五三の二)。

(2) 東京佐川は、右同日、芙蓉総合リースに対し、北東開発の右債務について連帯保証する旨約した(以下、右連帯保証契約を「本件連帯保証契約(三)」といい、本件連帯保証契約(一)ないし(三)を合わせて「本件連帯保証契約」という。甲一五三の二)。

(3) 原告は、平成四年一月一〇日、芙蓉総合リースに対し、本件連帯保証契約(三)の履行として二二億円を弁済した(甲一五一)。

(4) 丙事件の訴状は、平成八年七月二七日、被告に送達された。

二  争点

1  消費貸借契約の成否(甲事件)

(原告の主張)

(一) 東京佐川は、被告に対し、別紙貸付一覧表記載のとおり、合計八億九五八〇万五一六八円を、弁済期の定めなく、利息及び遅延損害金は年八パーセントとの約定で貸し付けた。

(二) 原告は、被告に対し、平成五年一月一八日の本件口頭弁論期日において、右貸金全額の返還を催告した。したがって、遅くとも同日末日には、右貸金全額について弁済期が到来した。

(被告の主張)

原告の右主張は争う。

(一) 原告の請求は、東京佐川から被告に対して貸付がなされた旨記載された書類に基づいてなされているところ、右書類は、東京佐川の担当者が経理処理上作成したにすぎず、東京佐川と被告との間に消費貸借契約が成立した事実はない。

(二) 虚偽表示

仮に、原告主張の消費貸借契約が締結されたとしても、東京佐川と被告は、右契約を締結する際、いずれも金銭の授受及び返還の約束がないのに、これがあるように仮装することを合意したから、右契約は無効である。

(三) 心裡留保

仮に、右虚偽表示が認められないとしても、被告は、右契約を締結する際、借入金を返還する意思がなく、かつ、東京佐川もこれを知っていた、又は知りうべきであったから、右契約は無効である。

2  本件貸付及び本件連帯保証契約の締結は、被告の忠実義務違反等にあたるか(甲・乙・丙事件)。

(原告の主張)

(一) 本件貸付及び本件連帯保証契約(一)の締結(甲事件関係)について

(1) 被告は、本件貸付当時、平和堂不動産の経営が破綻しており、同社の代表取締役である松澤泰生(以下「松澤」という。)から、貸し付けた金員が当座しのぎの延命策として同社の利払い、借入金の返済及び経費の支出に充てられることを伝えており、かつ、本件貸付につき東京佐川の取締役会の決議がなされていないにもかかわらず、東京佐川の代表取締役として無担保で本件貸付を行った。

(2) 被告は、昭和六二年九月九日、いわゆる裏金を捻出するため、堀成太郎(以下「堀」という。)及び松澤らと共に、東京佐川の資金提供により株式投資を行う会社として株式会社誠廣を設立し、その際、資本金三〇〇〇万円のうち六〇〇万円を出資して取締役に就任し、株式会社誠廣が平成二年七月一一日に平和堂に商号変更した後の平成三年八月二日まで同社の取締役の地位にあった。

同社の主たる資産は、株式投資により購入した株式であるところ、平成二年一月一日以降、右株式の価額は下落していた。また、同年八月下旬までに、同社が金融機関から借り入れていた三三億円の債務は弁済されておらず、遅くとも同年九月一日以降、同社の経営は急激に悪化していた。

被告は、東京佐川の代表取締役として平和堂の右三三億円の借入について連帯保証契約を締結したことにより同社の経営の悪化を認識していた上、平和堂の取締役でもあったから、本件連帯保証契約(一)を締結する際、平和堂には主債務を返済する能力がなく、早晩連帯保証債務の履行を求められる状況にあることを認識し、かつ、東京佐川の取締役会の決議がなされていないにもかかわらず、東京佐川の代表取締役として無担保で本件連帯保証契約(一)を締結した。

(二) 本件連帯保証契約(二)の締結(乙事件関係)について

平和堂不動産は、松澤が昭和六一年一二月二二日に設立した資本金三〇〇〇万円の会社であり、松澤が経営する平和堂グループ五社のうちの一社で、その中核的存在であった。平和堂グループは、同社のほかに、住友開発株式会社、株式会社銀座平和堂、株式会社ギャラリー平和堂及び平和堂で構成され、被告のために裏金を捻出する役割を担っていたところ、被告は、このうち、株式会社ギャラリー平和堂及び平和堂の取締役であった。

平和堂不動産は、前記のとおり経営の悪化していた平和堂の貸金債務の弁済に充てる目的で、前記一2(二)(1)のいずみコーポレーションからの借入を行ったのであるから、平和堂により右借入金が返済される見込みはなかった上、平和堂不動産自身、平成二年一〇月末日において、約二九億二三〇〇万円の繰越欠損の状況にあったのみならず、同社の主たる資産も回収可能性の低い松澤に対する貸付金であったから、実質的な欠損が九〇億円以上となっており、本件連帯保証契約(二)の締結の際、右借入金の返済能力がないことは明らかであった。

被告は、前記のとおり、平和堂グループ中の二社の取締役であり、かつ、松澤と極めて親密な関係にあったから、本件連帯保証契約(二)の締結の際、平和堂不動産には主債務を返済する能力がなく、早晩連帯保証債務の履行を求められる状況にあることを認識し、かつ、取締役会の決議がなされていないにもかかわらず、東京佐川の代表取締役として無担保で本件連帯保証契約(二)を締結した。

(三) 本件連帯保証契約(三)の締結(丙事件関係)について

北東開発及び北祥産業株式会社(以下「北祥産業」という。)は、ゴルフ場の開発等を目的として暴力団××会の会長であった丁海(以下「丁海」という。)が設立した会社であるところ、両社は、平成二年三月末の時点で合計六三〇億円の債務を負っており、このうち、東京佐川の債務保証による借入分は約五四〇億円であった。その上、両社が開発していたゴルフ場は、いずれも完成の見込みがなく、ほぼ完成していた岩間カントリークラブについても、会員資格保証金の名目で集めた資金の半分近くが丁海の東京急行電鉄株式会社(以下「東急電鉄」という。)の株取引の資金に充てられ、同社の株価の暴落により資産価値が減少していたことから、両社は、大幅な債務超過となり、月々の資金繰りにも窮しており、主債務の返済能力はなかった。

被告は、本件連帯保証契約(三)の締結の際、北東開発にはその負担する多額の債務について返済能力がなく、早晩連帯保証債務の履行を求められる状況にあることを認識し、かつ、取締役会の決議がなされていないにもかかわらず、東京佐川の代表取締役として無担保で本件連帯保証契約(三)を締結した。

(四) 以上のとおり、被告は、本件貸付につき借主に返済能力がないことを、また、本件連帯保証契約の締結の際、主債務者に返済能力がなく、東京佐川が連帯保証債務の履行を求められる事態に至るであろうことを認識しながら、無担保で、かつ、取締役会の決議がなされていないにもかかわらず本件貸付及び本件連帯保証契約の締結を行った。その結果、東京佐川は、少なくとも、本件貸付及び本件連帯保証契約(一)の締結により一〇億円の、本件連帯保証契約(二)及び(三)の各締結により各二〇億円のそれぞれ損害を被った。

したがって、被告のなした本件貸付及び本件連帯保証契約の締結は、いずれも被告の東京佐川に対する善管注意義務及び忠実義務に違反するとともに、本件貸付については商法二六〇条二項一号に、本件連帯保証契約の締結については同項二号にそれぞれ違反することは明らかであるから、被告は、原告に対し、本件貸付及び本件連帯保証契約(一)の締結につき一〇億円の、本件連帯保証契約(二)及び(三)の各締結につき各二〇億円の各損害賠償義務がある。

(被告の主張)

原告の右主張は争う。

東京佐川においては、代表取締役である被告を含めた役員間で責任分担制が採られていたところ、貸付及び他の会社の借入金についての保証をするかどうかは、経理担当の常務取締役である早乙女潤(以下「早乙女」という。)が判断し、これを実行していた。したがって、被告は、本件貸付及び本件連帯保証契約の締結についての認識がなかったから、原告主張の貸金返還義務及び損害賠償義務を負わない。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  前記当事者間に争いのない事実等、証拠(甲一ないし一六、同二一ないし四三、同四四の一ないし四、同四五の一及び二、同四六、同四七及び四八の各一及び二、同四九ないし七二、同九四、同九八、同一〇一、同一一三、同一一四、同一一五の一ないし三、同一一六の一及び二、同一一七及び一一八の各一ないし三、同一一九ないし一二一、同一五四、同一五六、乙一、同二の一ないし一一、同三、同四、同五の一ないし一三、同六、同七の一ないし一八、同一〇ないし一三、同一七、同一八、同二五、証人早乙女、同津村秀行、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 東京佐川における経理処理等

被告は、東京佐川の設立以降平成三年七月一一日まで同社の代表取締役を務めたが、昭和五二年ころ、佐川急便グループの会長である佐川清に対し東京佐川の株式の約六〇パーセントを譲渡した後も、残余の株式を保有し、いわゆるワンマン社長として経営全般についての決定権を有していた。早乙女は、昭和五〇年に同社の経理担当社員として採用され、昭和五五年ころ経理担当の取締役に、昭和五八年ころには常務取締役となり、東京佐川名義及び被告名義の預金通帳及び届出印を保管し、出入金を管理していたが、東京佐川の代表者印は、総務担当の常務取締役である赤塚普知雄が管理し、被告個人の実印は、被告が管理していた。

東京佐川では、政治家に対する献金及びパーティー券の購入等のために多額の資金が必要とされていたのみならず、佐川急便グループの会長である佐川清からの依頼等により、右翼の関係者や歌手が行う事業等に対する資金援助として、貸付ないし連帯保証契約を締結することも多々あった。これらの支出に充てる資金の一部については、東京佐川が金融機関から借り入れていたが、その借入に際しては、被告が東京佐川の代表取締役として契約書に署名・押印をしていた。また、同社の経理担当者により被告名義で金融機関から借り入れられた金員が右支出に充てられることもあり、その場合、右金融機関に対する利息を東京佐川が支払うこともあった。

右支出については、原則として、被告が承諾した上で、早乙女に指示して具体的な経理上の処理をさせていたところ、早乙女は、右支出に会計上表立って処理することができない性質のものが含まれており、これを表立って処理する場合には、多額の交際費ないし使途不明金等を計上せざるを得ず、税務署からの追及が厳しくなることから、右支出を東京佐川の被告に対する仮払金又は貸付金として処理していた。すなわち、右支出をなすにあたり、早乙女は、経理担当者に指示して銀行口座から現金を引き出させ、これを被告に交付させるか、又は被告名義の口座に入金させた上で、原則として、後日、被告に対する貸付金として処理するよう指示したメモを経理担当者に交付して貸金証書を作成させ、その翌月の初めに、右金員が被告に貸し付けられたものとして貸付金台帳に記載させていた。なお、早乙女は、被告に対し、右支出の一部が被告への貸付金として処理されることを伝えていたが、個々の支出に関する処理については、報告をしないものもあった。また、作成された貸金証書の写しが被告に交付されることはなかった。

右支出に充てられた資金のうち、被告名義の借入金については、資金援助を受けた第三者がその元金ないし利息を返済することがあり、また、早乙女が被告名義で行っていた株取引の利益及び東京佐川の使途不明金として捻出した資金等で右仮払金又は貸付金を返済した旨の処理をすることもあった。右返済の処理につき、被告は、早乙女から報告を受けていたが、被告が直接これに関与したことはなかった。

なお、東京佐川において、一般貨物自動車運送事業に関し、被告名義の口座に資金が振り込まれることや、使途不明金が被告に対する貸金として処理されたことはなかった。

(二) 貸金証書の作成

原告が被告に対する貸金として主張する別紙貸付一覧表記載の金員のうち、番号一ないし三、一六、一九、二三、二四、二八及び二九については、前記処理方法に従って被告に対する各貸金証書(甲一、同四、同七ないし九、同三三、同三八、同四二及び同五二)が作成された。

ただし、このうち、番号一ないし三の金員は、同表年月日欄記載の日に被告に対して仮払金として支払われた金員について、昭和六一年一二月三一日に各貸金証書(甲七ないし九)が作成され、貸金として処理されたものである。また、番号二八の金員は、昭和六〇年以前の被告に対する貸付金の繰越金とされていた金額及び同年一二月における貸付として記載されていた金額をまとめて、昭和六三年一二月三一日に貸金証書(甲五二)が作成されたものである。

右各貸金証書には、利息を年八パーセントとする旨の記載があるが、これは、当時の金融情勢に照らして税務調査の際に税務署から問題とされることのない利率として、東京佐川が金員を貸し付ける場合に一般的に採用していた利率に従ったものである。

(三) 被告名義の銀行口座

株式会社富士銀行亀戸支店で、昭和六〇年一〇月三一日、口座の名義を渡辺一郎とし、口座番号を一四八三八三五とする預金口座が開設され、同年一一月に、右口座の名義が「証貸返済金口 乙野一郎」と変更された。右口座の開設時から届出印として被告個人の印鑑が使用されていたが、届出に係る住所は、東京佐川の本店所在地とされ、別紙貸付一覧表記載番号四ないし七、一〇ないし一五、一七、一八、二〇ないし二二及び二五ないし二七の金員については、東京佐川の口座から出金されて右口座に振り込まれた。

また、同支店では、口座番号を一三七八二〇九とする被告名義の預金口座も開設され、同表記載番号一六、三〇及び三二の金員が東京佐川の口座から出金されて同口座に振り込まれた。

2 右認定の事実関係、殊に、被告に対する貸付金として処理されていた金員のうち、政治家に対する献金等に充てられていたものについては、返還が予定されていなかったと推認されること、事後に、早乙女の指示を待って初めて被告に対する貸付金として処理されていること、貸金証書についても、事後に、経理担当者によって作成され、かつ、その写しも被告に交付されていないこと、被告に対する貸付金として処理された支出の一部は、早乙女が東京佐川の使途不明金として捻出した金員をもって返済された旨の処理がなされていることなどに照らすと、右支出に充てられた金員が被告に対する貸付金として処理されていたとしても、被告が右支出に充てられた金員を返還する旨の合意がなされたとまでは推認し難く、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

3  したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告の争点1についての主張は、理由がない。

二  争点2について

1  前記争いのない事実等、証拠(甲七三、同七四、同八八の一、同九〇ないし一〇二、同一〇四、同一〇五、同一二二ないし一二五、同一二六の一ないし一五(ただし、枝番九及び一〇並びに一二ないし一五は小枝番各一及び二)、同一二七の一ないし六、同一二八、同一三一の一ないし一三、同一三二、同一三三、同一四六ないし一四九、同一五三の一ないし三、同一五四、同一五五、同一五八ないし一六二、同一八一ないし一八三、同一八五ないし一九〇、乙一〇、同一二ないし二〇、同二二ないし二七、証人早乙女、同奥田治、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 東京佐川における貸付及び連帯保証契約締結の手続等

被告は、東京佐川の代表取締役として平和堂、平和堂不動産及び北東開発等の各社に対して金員を貸し付け、あるいは右各社の借入につき金融機関との間で連帯保証契約を締結していたが、その際、原則として、被告が松澤又は北東開発の担当者である庄司宗信(以下「庄司」という。)らから借入金額、その使途について、また、連帯保証契約の締結の場合には借入先等の概要について説明を受け、承諾をした後に、早乙女に対し事後手続を行うよう指示し、右貸付又は連帯保証契約の締結につき取締役会の決議がなされていないにもかかわらず、右決議がなされた旨の決議書を作成させ、契約書の作成等の具体的な手続を行わせていた。例外的に、連帯保証契約の締結に際し、借入先及び使途を決定した上で、一定の保証額の枠を定めて包括的に承諾をすることがあり、この場合、保証額の総額が右枠内であれば、個々の連帯保証契約の締結について被告の承諾を求めず、直接早乙女が手続をすることもあったが、本件貸付及び本件連帯保証契約の締結は、いずれも右原則に従って行われた。

被告は、右貸付又は連帯保証契約の締結にあたり、借主又は主債務者となる会社の資金繰りについて調査したことはなかったのみならず、借入金の使途がゴルフ場開発や土地の購入であっても、事前の事業計画等の調査及び事後の事業の進捗状況のいずれについても調査をしたことはなく、更に、早乙女に対して右事項につき調査を命じ、又は稟議書の提出を求めたこともなかった。

(二) 平和堂グループ関係(本件貸付、本件連帯保証契約(一)及び(二)の各締結)

(1) 平和堂グループの概要

被告は、政治家への献金等に充てるための裏金が欲しいと考え、昭和六二年九月九日、堀に東京佐川の資金提供の下で株式投資を行う会社として株式会社誠廣を設立させ、また、自らも、同社の資本金三〇〇〇万円のうち六〇〇万円を出資し、設立時から平成三年八月二日まで同社の取締役の地位にあった。同社の代表取締役は、設立当初は堀であったが、その後、平成二年七月一一日の平和堂への商号変更と同時に松澤に代わった。

株式会社ギャラリー平和堂(平成四年六月二三日、株式会社エポックギャラリーに商号変更した。)、住友開発株式会社(平成四年六月二六日、株式会社エポック開発に商号変更した。)及び平和堂不動産は、松澤が設立して代表取締役を務める会社であり、株式会社銀座平和堂も松澤が設立した会社であるが、株式会社ギャラリー平和堂については、被告が設立時から平成三年八月二日まで取締役の地位にあった。

以上五社は、本件貸付及び本件連帯保証契約(一)及び(二)の各締結当時は松澤が経営しており、平和堂グループと呼ばれていわゆるグループ企業として相互に資金を融通していたが、平成二年四月以降、合計七〇〇億円以上の負債があり、その額は、東京佐川から直接貸付を受けた債務に限定しても、総額一二〇億円以上となっていた。松澤は、平和堂グループとして借り入れた資金の殆どを仕手株又は不動産の購入に充てていたが、購入した不動産が転売される見込みはなく、株取引の収支についても、松澤個人及び平和堂は平成二年から、平和堂不動産は平成三年から損失を計上していた上、資産として保有していた株式についてみても、いずれの会社及び松澤個人も、平成二年以降は評価損を計上していた。このため、平和堂又は平和堂不動産がグループ内の他社から資金を調達して、債務を返済することも不可能な状態にあった。

(2) 平和堂の経営状況

平和堂は、平成元年九月一日から翌年八月三一日までの一年間に、特別損失として約七億三〇〇〇万円もの評価損を計上し、当期損失も約一億五〇〇〇万円に達し、平成二年八月三一日当時、約九五〇〇万円の欠損を出す状態となっていた。更に、このころまでに、被告が東京佐川の代表取締役としてなした連帯保証の下に平和堂が借り入れた約三三億円の債務は、いずれも返済されていなかった。

松澤は、平和堂が東京佐川から借り入れ、又は東京佐川の連帯保証の下に他の金融機関から借り入れた金員を、主に仕手株の購入資金に充てていたところ、遅くとも平成二年以降、株価の下落による損失が生じたことから、右損失を取り戻すべく、右事情について被告に説明をした上、更に東京佐川から直接貸付を受け、あるいは東京佐川の連帯保証の下に他の金融機関から借入をし、他の仕手株を購入するなどの行為を繰り返した。しかしながら、一部の株式については、株価の下落により損失が生じ、他の株式についても、仕手株であるために売却できず、その購入のために投下した資金が固定されることにより借入金の利息のみが増加する状態となっていた。

(3) 平和堂不動産の経営状況

平和堂不動産は、借入金残高が、平成元年一一月三〇日当時は約一三九億円であったものの、平成二年一〇月三一日当時には約三二二億五六〇六万円と急増し、同日までの営業損失が約二九億二〇〇〇万円に上っていたのみならず、同日における代表者の松澤に対する短期貸付金も約三九億三〇〇〇万円という巨額に達していた。また、同社は、同年一二月までに、既に東京佐川の保証の下に他の金融機関から約二〇〇億円を借り入れ、不動産ないし株式の購入資金に充てていたが、購入した不動産が売却できる見込みはなく、また、株式についても、借入金の担保として金融機関に差し入れられていた上、右株式の価額がいわゆる担保割れとなる程度にまで下落して、平和堂不動産に借入金を弁済する能力はない状況にあった。

被告は、松澤らからの報告により右購入不動産の売却の見込みがないことを認識しており、また、株式についても、平成二年四月五日、株式の購入資金に充てられた借入金の債務について担保として差し入れた株式が担保割れの状態となったとして、東京佐川が四〇億円の包括的根保証をするよう松澤から依頼されたことにより株価の下落を認識しており、更に、同年一〇月ころにも、松澤から、購入した仕手株の株価が下落したためにこれを買い支える資金が必要であるとして融資を依頼され、この時点における株価の下落も認識していた。

(4) 本件貸付及び本件連帯保証契約(一)及び(二)の各締結

被告は、平成三年一月三一日、松澤から、平和堂不動産の倒産を避けるための利払い、借入金の返済及び経費の支出に充てるとの説明を受けたにもかかわらず、取締役会の決議を経ずに無担保で同社に対する本件貸付を行い、更に、同年二月ころ、松澤から、平和堂の借入金の返済に窮し、一般経費も不足している上、早乙女から本件貸付の返済を迫られている旨の説明を受けたにもかかわらず、取締役会の決議を経ずに無担保で本件連帯保証契約(一)を締結した。

また、被告は、松澤から、平和堂の倒産を回避するために、同社の債務の返済に充てる目的で、平和堂不動産名義でいずみコーポレーションから二五億円を借り入れる旨の説明を受けたのみならず、平成二年一二月一八日、いずみコーポレーションの代表取締役本田惇及び融資担当部長奥田治と面談し、主たる債務の融資額、融資内容等について説明を受けたにもかかわらず、取締役会の決議を経ずに無担保で本件連帯保証契約(二)を締結した。

被告は、本件貸付及び本件連帯保証契約(一)及び(二)の各締結を行わなければ、平和堂グループの倒産を招き、同グループのために従来行われていた放漫な債務保証や貸付の実態が明らかになるのみならず、巨額の保証債務の履行を余儀なくされる事態に追い込まれ、自己の経営責任を追及されて東京佐川の経営権を失いかねないため、かかる事態を回避し、かつ、松澤から従来どおり裏金を受領するなどの目的で、本件貸付及び本件連帯保証契約(一)及び(二)の各締結を行った。

(三) 北東開発関係(本件連帯保証契約(三)の締結)

北東開発は、暴力団××会の会長であった丁海がゴルフ場の開発等を目的として設立した会社であり、暴力団の関連会社であることが判明すると金融機関等からの借入が困難になることから、早乙女が代表取締役に就任していたが、代表者印等を丁海の部下が所持しており、実質的に丁海が経営する会社であった。丁海は、同社のほかに、部下の庄司が代表取締役を務める北祥産業等の複数の会社を経営し、北東開発を含む各社間で相互に資金を融通させて、谷田部カントリークラブ、ゴールドバレーカントリークラブ及び岩間カントリークラブの三ゴルフ場を開発していたほか、個人名義で株取引を行っていた。

平成二年一月末の時点における金融機関からの借入額は、北東開発が合計約四四三億円、北祥産業が合計約一二九億円に及んでいた。

これに対し、同時点における北東開発の最大資産である貸付金には、回収可能性の低い北祥産業に対する貸付金約二四二億円が含まれていた。また、丁海の経営する各社が行っていた前記三ゴルフ場の開発事業のうち、北東開発が直接行っていた唯一の事業である谷田部カントリークラブの開発は、用地を買収中であり、かつ、いわゆるバブル経済による地価の高騰により用地買収を完了させるための資金の調達が困難となっており、完成の見込みがなかった。丁海の経営する他の会社が開発していたゴールドバレーカントリークラブについては、最も困難とされる残り五パーセント分の用地買収が未了であり、それまでに同ゴルフ場開発のために投下された二〇〇億円以上の資金に加え、更に二〇〇億円以上の投資が必要とされており、仮に完成したとしても採算がとれるかどうか不明な状況であり、ほぼ完成していた岩間カントリークラプについても、丁海が、会員資格保証金の名目で集めた約三八〇億円の資金のうち約一八〇億円をもって借入金を弁済するなどし、残額約二〇〇億円を東急電鉄株の購入資金に流用していた。丁海が個人名義で行っていた株取引についても、買い入れた東急電鉄株を担保として借り入れた金員をもって、更に同社株を買い増していたところ、同社の株価は、平成元年一一月に最高値をつけた後下落し、翌年四月までには、前記買い増しの資金に充てられた借入金について担保割れの状態となり、追加の担保を要求される状況となっていた。

その上、平成二年三月二四日、読売新聞の夕刊において、北祥産業が丁海関連の会社であり、有名運送会社が保証して借入をし、東急電鉄系の株式を購入している旨の記事が掲載されたことを契機として、北祥産業は、金融機関からそれまでの借入金の返済を求められ、あるいは借入金の返済猶予を断られるなどし、更に、同年四月には大蔵省から金融機関に対して不動産投資の総量規制をする旨の指示が出され、ゴルフ場開発に関して貸付を受けることが困難となったことなどから、丁海の経営する各社は、月々の資金繰りにも窮していた。

以上のとおり、北東開発には債務の返済能力はなかった上、丁海が経営している他社の行っている事業から収益を得られる見込みもなく、丁海が各社の資金を流用するなどして買い付けていた東急電鉄株も株価が下落していたことから、北東開発の債務が返済される可能性はなかった。

被告は、昭和六三年三月ころ、早乙女から、丁海の経営する会社を主債務者とする東京佐川の保証債務の総額が約四〇〇億円に上ることについて報告を受けており、かつ、丁海の株取引を補助していた相島功から、丁海が前記岩間カントリークラブの会員資格保証金の名目で集めた資金のうち約二〇〇億円を東急電鉄株の購入資金に充てていることを伝えられていたが、前記(二)(4)と同様に、本件連帯保証契約(三)を締結しなければ、北東開発の倒産を招き、巨額の保証債務の履行を余儀なくされる事態に追い込まれ、自己の経営責任を追及されて東京佐川の経営権を失いかねないため、かかる事態を回避するなどの目的で、北東開発の経営状況、ゴルフ場開発事業の進捗状況及び東急電鉄株の取引の収支等について、早乙女に調査を指示し、あるいは報告を受けることなく、取締役会の決議を経ずに無担保で本件連帯保証契約(三)を締結した。

(四) 東京佐川の経営状況

東京佐川は、平成元年一二月三一日当時、現金預金は約六一四億円、短期借入金は約一〇八四億円、同年の経常利益が約一〇二億円であり、平成二年一二月三一日当時、現金預金は約五八四億円、短期借入金は約一四二五億円、同年の経常利益が約六一億円であった。

2 右認定の事実関係によれば、被告は、本件貸付並びに本件連帯保証契約(一)及び(二)の各締結の際、平和堂及び平和堂不動産の経営が悪化しており、平和堂に本件貸付債務の返済能力がなく、本件連帯保証契約(一)及び(二)の主債務者である平和堂及び平和堂不動産のいずれについても主債務を返済する能力がなく、東京佐川が本件連帯保証契約(一)及び(二)の履行を求められる事態に至ることを認識していたと推認することができ、また、本件連帯保証契約(三)の締結についても、少なくとも昭和六三年四月には、丁海の経営する会社に対する保証債務が多額に上っており、かつ、丁海の資金の使途については認識していたのであるから、北東開発の返済能力や担保の有無を調査すべきであるのにこれを怠り、いずれも無担保で本件貸付及び本件連帯保証契約の締結を行ったのであって、被告の右各行為が東京佐川の取締役としての善管注意義務又は忠実義務に違反することは明らかというべきである。更に、被告は、本件貸付又は本件連帯保証契約の金額が、東京佐川の平成元年一二月三一日当時の経常利益を基準としても、その約五パーセントから三〇パーセントに相当し、かつ、右各行為により借主及び主債務者が行う前記不動産取引、株取引又はゴルフ場開発事業が東京佐川の営業目的とは無関係であるにもかかわらず、取締役会の決議を経ずに右各行為を行ったのであるから、本件貸付については商法二六〇条二項一号に、本件連帯保証契約の締結については同項二号にそれぞれ違反することも明らかである。したがって、被告は、原告に対し、右各行為により東京佐川が被った損害を賠償すべき義務がある。

そして、前記認定事実と前記第二の一の事実を併せ考えると、東京佐川は、少なくとも、本件貸付及び本件連帯保証契約(一)の締結により一〇億円の、本件連帯保証契約(二)及び(三)の各締結により各二〇億円のそれぞれ損害を被ったことが認められる。

そうすると、被告は、東京佐川の権利義務を包括的に承継した原告に対し、右各損害を賠償する義務があるといわなければならない。

3  これに対し、被告は、早乙女が本件貸付及び本件連帯保証契約の締結について一切の判断を行っており、被告には右各行為についての認識がなかった旨主張し、乙一二ないし一四、同一六ないし一九、同二二ないし二五、同二七及び被告本人の供述中には、右主張に沿う部分があるが、右各部分は、証拠(甲九二ないし一〇二、同一〇四、同一〇五、同一二四、同一二五、同一二六の一ないし一五(ただし、枝番九及び一〇並びに一二ないし一五は小枝番各一及び二)、同一二七の一ないし六、同一二八、同一三三、同一四六ないし一四九、同一五四、同一五五、同一五八ないし一六二、同一八一ないし一八三、同一八五ないし一九〇、乙一〇、証人早乙女、同奥田治)に照らし採用できない。

4  したがって、争点2についての原告の主張は、いずれも理由がある。

第四  結論

以上の次第で、原告の請求は、損害賠償として、五〇億円及び内金一〇億円に対する請求の趣旨拡張並びに請求の原因追加の申立書が送達された日の翌日である平成五年六月二四日から、内金二〇億円に対する乙事件の訴状送達の日の翌日である平成六年八月七日から、内金二〇億円に対する丙事件の訴状送達の日の翌日である平成八年七月二八日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、その限りでこれを認容することとし、その余の請求は理由がないので棄却することとし(なお、右認容に係る債務は、いずれも期限の定めのない債務であるから、その遅延損害金の起算日は、支払催告日の翌日となる。)、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官飯田敏彦 裁判官端二三彦 裁判官古谷健二郎)

別紙〈省略〉

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